口から食べる幸せを守る家族会
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創意工夫して食べる力を取り戻す

嚥下障害の父が再び食べられるようになるまでやってきたこと。

2018年2月のある日、私の父(当時76歳)は脳梗塞で重度の嚥下障害、左片麻痺が残りました。
言語聴覚士による「食べる訓練」が毎日1時間もあるものの、良くなるどころか悪くなっていく父。
「どうしたら良くなるのか」を毎日必死になって情報を探しました。
行きついた先がこの「口から食べる幸せを守る会」でした。

食べさせるプロフェッショナルと信じていた言語聴覚士を5人見て来て分かったことがあります。
誰一人として「口から食べる幸せをサポートする包括的スキル第2版」に書かれていることを実践していないことです。

2018年7月、口から食べる幸せを守る会第6回全国大会に参加し、ある講演者から勇気と希望をもらいました。

「食べられない」と言われた講演者のお父様がからわずか2週間でカレーを食べられるようになったお話です。

病院にお任せでは大事な家族は救えない。知識や情報を集め、行動していくことが大事

2018年8月、口から食べる幸せを守る会の実技セミナーに参加しました。
病院で行われていた父のベッド上での食事風景をシミュレーションし、スプーンを運ぶ角度から舌を押す力具合まで実技セミナー講師の小山先生に直接教えていただきました。
これらは病院の言語聴覚士から教わった食事介助方法とはまったく次元の異なるものでした。

今後の研修会・セミナー
2018年8月報告レポートpdfファイル

このセミナーで「これなら自分にもできる」と確信しました。
もし迷っても「口から食べる幸せをサポートする包括的スキル第2版」に事細かにやり方が書いてあります。
家族会に参加したことで、「もう一人で悩まなくてもよい。行き詰ったら世話人の方々に相談できる」と心の支えができました。

セミナーから4日後、父は回復期病院から老健施設に移転しました。
セミナーで教わった技術を元に、「口から食べる幸せをサポートする包括的スキル第2版」をバイブルにし、試行錯誤しながらの摂食訓練が始まりました。
医療知識のない素人が、父を相手に人体実験しているようで不安にかられながらも、困った時は「口から食べる幸せをサポートする包括的スキル第2版」を何度も読み返し、回答を見つけ実践しました。
「口から食べる幸せをサポートする包括的スキル第2版」で見つけた回答通りに実践すると、次々に改善されていき、経験に積み重ねられた理論の正しさを実感しました。

施設入所から3週間後、家族による毎日の摂食訓練で父は昼食のみですが自力経口摂取できるようになりました。

病院で見離された胃ろうの父が3週間で自力摂取できるようになる

夕食を食べられるようになるにはさらに2か月かかり、昼食よりもはるかに困難でした。

川平法の講習会に参加したことで、運動の重要性を学び、食べる訓練に運動を追加しました。
※川平法自体は重度の麻痺の方向きではありません。「自力」と「他力」という考えで、自ら動かす力を「自力」と呼び、この力をいかに引き出し、伸ばしていくかという手法です。

片麻痺回復のための運動療法

運動を始めてから見違えるほど元気になり、ほとんど話せなかったのが話せるようになりました。
体重が少しづつ増え、筋力が付き、1分と続かなかった座位の保持ができるようになり、まったく立てなかったのが1分以上立位の保持(片足)ができるようになりました。

老健入所から4か月後に普通車椅子で摂食、主に自力摂取、補助で食事介助となりました。
食べることでどんどん元気になる、家族が正しい知識と技術を身につければ大切な家族を救うことができるとつくづく思いました。

喜んだのもつかの間、体重増加は介護者の負担になるので栄養を減らすと施設から言い渡されました。
異議があるならどうぞ在宅へと言われては受け入れざるをえません。

さらに悪いことにインフルエンザ大流行による面会制限/禁止で3~4週間に1回30分ほどしか面会できない状態が3か月も続きました。
面会のたびに父が弱っていくのが目に見えてわかりました。座位の保持が難しくなり、魂が抜けたようにぼんやりとしている事が多くなりました。

面会制限が解けた3月末、施設から「嫌がって食べようとしない。体重が激減している。施設側でできることはもう何もない。食べることが苦痛なようなので経口摂取は中止、液体栄養に切り替える。異議があるなら在宅にしてください」と言い渡されました。

突然の宣告に驚き「食べることが苦痛なわけではない。私が毎週2日、昼夕摂食するので摂食中止は待ってほしい」と頼みました。
体重が増えたからと栄養を減らし、体重が減ったから摂食中止という横暴さにはらわたが煮えくり返る思いでしたが、入所予定施設に空きがないため耐えるしかありませんでした。

2019年8月、5か月間必死に摂食訓練と地道に運動を続けた結果、父は再び回復しました。
面会制限/禁止により、家族が介入できない断絶期間を挟んだことで、食力、体力、気力のバランスの大切さを思い知らされました。
バランスが崩れると何もかもが悪い方に転げ落ちていき、バランスを取り戻すと再び回復するということです。

食力

脳梗塞発症後、父は「食べたい」と言うことはありませんでした。
私は「口から食べる幸せをサポートする包括的スキル第2版」を読んで、「食べる意欲」がもっとも大事であることを知っていました。
理解しているかどうかわからない父の耳元で「食べることで元気になるって偉い先生が言ってたよ。口から食べ、胃と腸を動かすことで頭が活性化しどんどん良くなるんだよ」と何度も何度も話しかけました。
洗脳のように「食べる意欲」を持たせるところから始めました。

意思の疎通が少しできるようになってから「そば好きだったよね」「みかん好きだったよね」とうなずかせるようにしました。
ペースト食が食べられるようになってから、とろみを付けたそばつゆを食べさせました。「うめぇ」と目を輝かせて言いました。

家族による食事介助を初めてから「もう食べられない」と言うことはいつものお約束です。

私「お父さんは食べられる人ですか?食べられない人ですか?」
父「食べられる人」
私「そうですね。食べられる人ですよ。」「先週は全部食べましたよ。後10口食べると今日も全部食べたことになりますよ。明日も食べられますよ。」

のように、あとどのぐらいで完食するか見通しを示し、一皿完食するごとに褒め、完食すると「食べることができる」と強調します。
簡単な目標を示し、達成すると「できた」と褒め、これを繰り返しました。
これは実技セミナーで習ったことです。

ウナギが食べたいと言うので嚥下食のあいーとを持っていきました。眼の色を変えて「うめぇ、うめぇ」と一心不乱に食べ続けました。
食後のリハビリで、いつもは10秒くらいの片足立位保持が、120秒保持でき作業療法士を驚かせていました。
自分が好きなものを食べることはその人を元気にする力があります。

嚥下食あいーとのうな重

体力

栄養

急性期病院(寝たきり)→回復期病院(リハあり)に移転したとき、1日1500kcal→1200kcalに減りました。
しばらくして足も手も痩せ細り、枯れ木のようにシワシワでカサカサになりました。
傾眠傾向が強くなり、呼びかけにあまり反応しないことも多くなりました。

「口から食べる幸せをサポートする包括的スキル第2版」を読んで低栄養は良くないと知っていました。
看護師長に「体重が減少していると思うのですが入院当初と現在の体重を教えてください」と聞きました。
「手足が細くなると驚きますよね。どうしても仕方ないんですよ。これが普通なんですよ。体重は入院時より少し減っています」と答えました。

その日の夜から300kcalが追加され、1500kcalになりました。家族にそのことは知らされませんでした。
しばらくして色つやよくなり、肌にうるおいが戻ってきました。

回復期病院→老健に移転したとき、1日800kcalになりますと言われました。
いきなり1500kcalから半分の量です。
それはおかしいと抗議したら、1400kcalになりました。
栄養量を減らす理由は「体重が増えると介護者の負担になるから」です。

病院・施設は医療情報提供書(要開示請求)に書かれた退院時の体重しか見ていません。
病前に64kgあって、入院期間で58kgに減少し退院すると、58kgが基準になります。
ここから1.5kg増えたら、介護者の負担になるので栄養量を減らすと言われました。
車椅子に乗ったまま測るので、夏服と冬服で重量が増えたことは考慮に入れていません。それを説明しても聞き入れてもらえませんでした。

KTSM理事の小山先生と管理栄養士の高橋さん(KTSM実技認定者)の栄養についてのコメント(家族会メーリングリスト)が大変参考になりました。

管理栄養士の高橋さん:「必要栄養量」は年齢、体格、活動量の3点で計算します。更に、ゴール(目標、希望)を加えて「目安量」を設定し、その栄養を投与してみてどうなったか観察してまた検討する、という繰り返しになります。
小山先生:必要栄養量や体格指数を基準として、栄養量やタンパク質などを算出しますが、これには個別性があります。その人のこれまでの時間的経過、病態、消化管、脳機能、回復の度合い、今後のゴール設定なども考慮する必要があります。

施設の管理栄養士と面談しましたが、このような話はなく体重の増減だけで栄養量を調整しているようでした。
大切な家族の栄養量を把握しておくことはいつも重要でした。

運動

回復期病院では毎日2時間、理学・作業療法士によるリハビリがありました。
拘縮予防のマッサージがほとんどで、筋力回復のリハビリはまったくありませんでした。

「車椅子移乗の時に片麻痺のツッパリで介護がしにくくなる」と言われました。
片足でしか立てないので、父より背の低い人が移乗しようとすれば肩につかまれず、全体重を支えている足の力を抜くことができません。
自力で立とうとすることを突っ張って良くない言っているようなものです。

しばらくして「だいぶ突っ張らなくなりましたね」と褒められました。
その頃はもう片足で1秒も立つことはできず、車椅子のロックさえ外せないほど筋力が弱りました。
弱気になってリハビリを嫌がり「もうリハビリしなくていい」「もうすぐさよならだ」と言っていました。

経管栄養中(経鼻・胃ろう)はベッド上でリクライニング角度30度で栄養前後2~3時間は安静にする必要があります。
胃内容物の逆流およびその誤嚥による肺炎の発症リスクがあるためです。
栄養は1日4回ありました。2~3時間×4=8~12時間はベッドに釘付けです。
理学・作業療法士によるリハビリは毎日2時間、リハビリベッドで寝かせて拘縮予防マッサージだけです。
睡眠時間とは別に、寝かせきり状態が10~14時間続きます。

「口から食べる幸せをサポートする包括的スキル第2版」を読んで離床が大切だと知っていました。
週3日、朝9時に病院に行き、夜8時半までいて、リハビリの間のわずかな隙間を縫って車椅子に座らせ、離床していました。

看護婦は「疲れるからベッドで寝かせた方が良い」「少しでも動くとゼーゼーハーハーして心臓に悪い」と何度も言いました。
急性期病院では日中は車椅子で経鼻経管栄養を行っていたので、「家族がいるときで良いので車椅子で栄養を流してもらえないか」と頼みましたが、認めてもらえませんでした。
後で開示請求した看護サマリーには「家族による車椅子離床が多いのでコントロールが必要」と書かれていました。

この時、もっと運動の重要性について私が早く気が付いていればと後悔しています。
半日は病院にいたのですから、もっと早くに生きる力を取り戻させることができたかもしれません。
知識があれば、体力を失うことが気力までも奪っていくことに気が付けたはずです。

2018年の全国大会の受付で購入したサルコペニアを防ぐ! 看護師によるリハビリテーション栄養がこのことを教えてくれました。
医療者用の難しい本ですが、様々な症例が載っていて、「サルコペニア、フレイル」から回復するために何を行うべきかを知ることができました。

サルコペニアを防ぐ! 看護師によるリハビリテーション栄養

心臓に問題のある父は「BNPの値が健常者の30倍、通常なら絶対安静。こんな状態で外出するなんて家族のエゴだ」と医師に言われました。
施設入所当初、運動時にゼーゼーハーハーして血圧が高くなることがありましたが、運動を続けているとやがてそれもなくなりました。
最初はパルスオキシメーターと血圧計で確認しながら少しづつ運動量を上げていき、1か月ほどでこれら計測器は不要になりました。

家族による摂食訓練中は何はともあれ誤嚥性肺炎が恐ろしかったです。「父を誤嚥性肺炎にてしまった」という悪夢に何度もうなされました。
食事介助をしているときに突然吐き出したことがありました。
様子がおかしく熱を測ると37.5℃ありました。4か月ぶりの発熱に慌てました。
取り返しのつかないことをしてしまったと父に泣いて謝りました。

誤嚥性肺炎にならないためには運動で抵抗力をつけることが大切だと誤嚥性肺炎の予防とケアから学びました。
全国大会の受付で購入しました。大変わかりやすい良書です。

運動は車椅子に家族で移乗できることが必須となります。介護者の手足の長さ、被介護者の麻痺具合、両者の体重差で移乗方法が異なります
小柄な女性にとって自分より体重が重い場合は移乗できないとあきらめる方も少なくないようです。

家族会フォーラムでyamadaさんが情報共有してくれた写真でわかる拘縮ケアは、人体の構造を知ることで少しの力で立たせたり、楽に移乗させる方法が書いてあります。
理学・作業療法士でも力任せにやっている方がよく見られます。

Youtubeに様々な移乗方法の動画がありますので自分と介護を受ける側に合った方法を試行錯誤しながら見つけることができます。

以下の「重たい・動けない人」のベッド上方移動 (重さが消える全介助②)を習得しようと何度も試みたら「もういい!」と怒られました。

運動の種類

「口から食べる幸せをサポートする包括的スキル第2版」に紹介されていた運動から初め、様々な本を読み漁っていろいろ試しました。
父は脳血管性認知症の影響で判断力が落ちてしまったため、言葉でやり方を説明してもよく理解できません。
ですが、真似をするという行為は比較的簡単にできます。目の前で実際にやってみて真似させました。
「これは舌を鍛えて、飲み込む力を強くするトレーニングだよ」と運動の意義を繰り返し説明し、鍛える場所を触れてその箇所に意識を集中させるようにしました。

ポイントは好きなものを食べることと一緒で、好きなことなら苦にならないということです。
病前、好きだったことを取り入れたり、ゲーム要素を取り入れたり工夫を凝らすと、嫌がらずやってくれます。

また、日本摂食嚥下リハビリテーション学会の訓練法のまとめが役立ちました。

訓練法のまとめ(2014 版)日摂食嚥下リハ会誌 18(1):55–89, 2014

【口の運動】

藤島式嚥下体操セット
※食べる前に実施。ペットボトルブローイングは大変効果あり。

・発声訓練
※口輪筋の訓練。できるだけ大きな口を開けて、出せる限りの大声で「あー」「いー」「うー」「えー」「おー」を叫ぶ。孫の名前を大声で呼ばせる。
※食べる前以外にも何度も行う。大声を出すことは腹筋、肺も使い、覚醒にもつながります。

・舌の筋トレ
※手袋をして、指で舌を押し、指を押し返してもらう。
※食べる前と口腔ケア時に実施。

・歌を歌う
※童謡と歌が好きだったので、このためにiPad PROを買いました。動画を見ながら歌うことができます。

・バンゲート法
※歯科衛生士に勧められて行ってます。左口角の麻痺側に刺激を与えます。

【体の運動】

・立ち上がり運動
補助して立たせ、深呼吸を3回して座る。立ちあがったら歌を歌わせる。秒数を数えてもらいながら限界まで立つなどいろいろ。
立ち上がりを運動に取り入れてから、筋力が付き、体重も増え、意識もはっきりするようになり、2~3週間で目覚ましく変わりました。
飲み込む力も強くなり、むせることも少なくなりました。
運動前はほとんどしゃべることもなかったのですが、次第に会話ができるようになりました。
立ち上がり運動は筋トレのスクワットに相当し、全身を使う運動です。最初は少しづつから始めました。

・紙風船バレー
落下速度を遅くするため最初は直径15㎝以上のものを使いました。片麻痺ならベッドで寝ていても片手だけでできます。
父はテニスと卓球が得意だったのでずっとやり続けても疲れた様子はほとんど見せませんでした。

【頭の運動】

・麻雀
病前は夜中オンラインで対戦相手を探すほど麻雀が好きだったので、iPad PROにアプリ※をダウンロードしました。
最初は左半側空間無視の影響でまったくゲームになりませんでしたが、好きなことは苦にならないようでした。
体力が付いてくるにしたがって認知度が上昇し、病前ほどではありませんが、かなり上達しました。

※無料アプリは広告が頻出します。左片麻痺のある父は広告のポップアップを閉じることができないため、アプリではない無料で遊べる麻雀ゲーム「麻雀」GAMEDESIGNが最適でした。

父は脳梗塞による前頭葉障害の影響があり、自己の身体障碍の自覚があまりなく、核融合や核分裂などの話はできても、日付、時間などがわかりません。

運動は前頭葉の活動量を増加させ、脳の認知機能を向上させるという研究レポートを読みました。

軽い運動でも認知機能は高まる! 筑波大学・中央大学

全身運動を始めると飲み込む力も付いてきました。
父が運動で認知機能も体もどんどん良くなり、食べることもできるようになったのを目の当たりにし、運動による前頭葉の刺激が病状を改善させたと思いました。

施設に朝から夜までいると入所者の顔を嫌でも覚えます。
入所時、最初は普通に歩いていた人が、しばらくすると歩行器を使うようになりました。
「転ぶと危ないから歩行器使って!」と職員がよく大声を張り上げています。
またしばらくするとその入所者は車椅子になっていました。
もしかしたら目に見えない病状の悪化のせいかもしれません。
ここはリハビリのある「老健」です。
でもこれは仕方のないことです。
ドーンと大きな音を立てて 倒れこむ入所者を何人も見ました。
救急車が来て、そして霊柩車が来ました。

知識があれば「サルコペニア、フレイル」から大切な家族を守ることができます。

気力

人には計り知れない力があると思ったことがあります。
インフルエンザ大流行による面会制限/禁止で、魂が抜けたようにぼんやりとしている事が多くなった父。
話しかけても、返ってくるのはごく短文ばかりで会話にならないことがほとんどでした。

そんな時、民謡舞踊の先生だった父に生徒から踊りの発表会を見に来てほしいとお誘いがありました。
昔を思い出し、気分転換になればと連れて行きました。

練習を見学して、「先生どうだった?」という生徒さん達。
先ほどまで簡単な会話も満足にできなかった父が、病前とまったく変わらぬ様子で、的確で細かなアドバイスに、叱咤激励までしました。
別人のような父の姿に呆気にとられました。

そしてこの日を境に父はみるみる良くなっていきました。
ポイントはここでも好きなものを食べることと一緒で、病前、好きだったこと、打ち込んでいたことなどを体験することで、活力が湧き出すきっかけになると知りました。

家族をいちばんよく知っているのはやはり家族です。
好きなもの、好きなことは何だったかを思い返してみます。
創意工夫して、食力、体力、気力を上げていくことが大切だと実感します。

母の口から食べる幸せを守り続けるは家族会のYoshikoさんの投稿です。
経鼻経管栄養のまま、在宅介護を決断し、変化を見逃さない自力によるステップアップが丁寧にまとめられています。
家族の力で、ついに経鼻を外すところで、湧き上がる涙を禁じ得ませんでした。
困難に立ち向かっていく勇気を与えてくれます。

覚悟

摂食訓練中に父が高熱を出した時、素人がとんでもないことをして、父の寿命を縮めてしまったと後悔にさいなまれたことがありました。

医療従事者が良くなってもらおうとステップアップを試み、それが結果的に望ましくないものとなった場合、家族がそれを受け入れられるのか、誰が責任を取るのかという問題があります。

回復期リハビリテーション病棟で言語聴覚士が誤嚥を防ぐポジショニングの30°リクライニング位を5か月も続け、一切ステップアップしなかったのも今では理由がわかります。

私は、医師も施設も家族の「口から食べさせたい」という希望を聞いてくれないと嘆くひとりでした。

医師は医療職の頂点にあり、看護師、介護士、言語聴覚・理学・作業療法士は医師の判断に従います。
大切な家族の食べる力を取り戻したいなら、相応の尽力と覚悟を見せることで医師の判断を変える必要があります。
このことは口から食べる幸せを守る会第7回全国大会で知りました。

父が回復期リハビリテーション病棟に入院中は、私はその覚悟がありませんでした。
回復が著しいと言われている病後直後の貴重な時期を何か月も無為にしてしまいました。

回復期リハビリテーション病棟退院後の施設では、自らの食事介助によって最悪の事態が起きることを覚悟し、「すべての責任を主介護者である私が負います」と医師や施設に伝えました。

大切な家族が再び口から食べられるようになるには、大きな犠牲を払うことになるかもしれません。
何かを得ようとするなら何かを失う覚悟が必要かもしれません。

父を胃ろうにしてしまった贖罪から、父が食べられるようになるため、試行錯誤してきました。
胃ろうは「再び食べられるようになるためにはどうしても欠かせないもの」と悩んだ末の選択でした。
胃ろう後にもし胃ろう前と同じような食べられない状態が続くのであれば、父を長く苦しめることになります。
この先ずっとそのような罪悪感を背負うことはできないと必死でした。
あの時こうしていればという後悔は枚挙にいとまがありません。

これらの経験や失敗が同じ問題で悩んでいる方々に少しでもお役に立てれば幸いです。

Dakhla

家族会役員

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